ティムバートン信者
私が初めて鑑賞したティム・バートン作品は、当時大ヒットしていた「チャーリーとチョコレート工場」でした。
ハリポタの興奮も冷めやらぬ時期に出た児童書原作のファンタジー映画だったため、外伝作品くらいの気持ちでCMを理解し、両親にチケットをねだった記憶があります。
金のチケットで鑑賞している我々子供たちに夢を与えつつ、わざわざステレオタイプでトンチンカンな日本の描写があったので、そのシーンの記憶が今も強く残っています。
ハリポタのホグワーツの入学通知はイギリスの学校制度の範疇で描写されているため、チャリチョコより遠く見えたものです。チョコレート工場の招待状のほうが、より現実味のある描写でした。
劇場でチャリチョコに満足した私は、両親にすぐさまバットマン2作をレンタルビデオで見せて貰って、監督の名前なんて区別がつかないうちから彼の世界観が刷り込まれました。信者です。
彼の作る映画を見るとき、私の思うこと。
さて、大人になって勝手に自分の財布を秋の夜風に晒すようになった今、彼の映画について思うことを一言で表すならば
思想強すぎ
です。
これからかなりdis気味の書き方になりますが、私は小さい頃からバートン信者です。
彼が描く、扉ひとつ隔てた先に広がるサイケデリックな想像の世界が大好きです。
ティム・バートンの一番の欠点を挙げるならば、造形の美故に出る思想の強さ、それがときにグロテスクに見えることです。
例えば、チャーリーとチョコレート工場ならば、原作からして寓話のコンセプトが強く、チャーリー以外の大半の人物が俗物や人格破綻者に描かれています。
工場長ウィリー・ウォンカにしても、功績に反してあまりに子供じみた振る舞いに終始しています。
筋書きは原作に即したものですが、台詞のひとつひとつ、キャラの造形の節々に、ティムの人間性が見え隠しているように見えてなりません。今となっては少しばかり寒気がする映画です。もちろん、楽しく鑑賞できますが。
ティム・バートンはディズニースタジオのアニメーターからクリエイターとしての歩みを始めた、変わった経歴を持つ映画監督です。ディズニースタジオで自身の創造性を抑圧するような作業を強要されたことが出奔のきっかけだそうです。
孤独で無口でゴジラが大好きな少年がそのまま大きくなったような彼の心象風景は、ときに良い映画を、ときにカルト以外の言葉が当てはまらない作品を生み出します。
こういうことクリエイターに言うと失礼なんだけど、予算ない時が一番面白い監督なんだよね。
彼の色彩感覚は、「ピィーウィーの大冒険」そして「ビートルジュース」にて、早いうちから世間の高評価を受けました。
その後、「バットマン」(1989)及び「バットマンリターンズ」を経て、多くの作品でメガホンを取るわけですが、大体予算のあるときにやらかします。
例えば、豪華キャストがただただ悪辣な火星人に虐殺される「マーズ・アタック!」
1960年代のトレーディングカードが原作という突拍子もない発想から繰り出されたこちらの映画。彼の描く色彩が楽しめて好きな一本ですが、もし他人に勧めるのであれば、こんな悪趣味そのものみたいな映画を勧めるやつを友達だと思うな、と強く主張したいです。
リメイク作「PLANET OF THE APES/猿の惑星」についても、ラジー賞を受賞しているので察してください。今作についてバートンは「リメイクではなくリ・イマジネーション」という、今では仮面ライダーオタクのほうが詳しそうな単語を使って映画のコンセプトを説明しました。
バートンの色彩や衣装はやっぱりいいもので、映画単品としてはディケイドのアマゾン編くらい面白いです。
一方、予算のないときの作品は、実はそこまでお金のかかってない「バットマン(1989)」や「シザーハンズ」です。あとはビートルジュースもね。
個人的には「バットマンリターンズ」や「スリーピー・ホロウ」もオススメですが、どうしてもバートンの色彩が強い作品ほど思想が出るから前2作に比べると勧めづらいんですよね。特にリターンズ。
ここまで書いてきた彼の思想と言うのは、異形への偏愛。
ある意味人間を軽視するかのような、強烈な庇護。世間から爪弾きに遭う、多くの人間と乖離した姿・心を持つ者への愛。
それを予算一杯に描こうとすると、マーズアタックみたいなどうしようもなく悪趣味であんまり大きな声で好きと言いづらい作品ができることもあります。その反対に、シザーハンズのような万人が共感できる温かみのあるドラマが生まれる可能性も秘めています。
長くなりましたがここからが本題のビートルジュースの話。初期の作品なので前作はもちろん低予算ですが、今作は大丈夫かな…?大丈夫だよね?
この後呪文を3回唱えると、ネタバレもいっしょに飛び出すので身構えてください。
ビートルジュースビートルジュースビートルジュース
楽しい映画でした。
バートンの映画なのでしっかりサイケでナンセンスで悪趣味ですが、続編制作の意義は間違いなくあったと言えるでしょう。
主要なキャストには、彼なくしてこの映画は成立しないビートルジュース役のマイケル・キートンはもちろんのこと、初期のバートン映画に度々出演したウィノナ・ライダーが前作の霊感少女、リディア・ディーツ役で引き続き出演。リディアの母デリア役のキャサリン・オハラも続投です。
そして、この映画でストーリーを回す主役、前作のリディアに近いポジションで娘のアストリッドを交えて、この映画は家族の問題解決、コミュニケーションエラーについて取り組みます。
リディアは霊能者としてTV出演で稼いでいますが、アストリッドの父親と死別しており、心の傷を負ったところに胡散臭いプロデューサーのローリーに結婚を迫られています。デリアも芸術まっしぐらで家族のコミュニケーションがおざなりな部分は別に改善されていません。むしろ悪化しているようにも見えます。
そんな母と祖母に育てられたアストリッドは、「自称お母さん」*1の言うゴーストなんか大嫌いで、読書と勉強を尊ぶリアリスト。年頃故に中二病と知識と反抗期の区別もつかない不安定な状態に陥っています。
そんなアストリッドにもリディアから受け継いだ霊感が実は備わっており、騒動が始まる筋書きになっています。
まあ、あの世の描写を見るための映画だから、筋書きは筋書きなんだけどね
ディーツ家の問題解決は映画を映画らしく動かすための鍵でしかなく、彼らが迷い込むあの世、サイケでナンセンスでグロテスクなティムのキャンバスを楽しむ導入でしかありません。
狂言回しでしかないというのは信者の過激な意見に聞こえるかも知れませんが、少なくとも、ローリーを話の流れであの世に叩き込んでビートルジュースがなんか満足して帰ってくれる流れなど、そうとしか見えないストーリー作りの目的が見えてきます。
デリアなんか騒動関係ないところで毒蛇に噛まれて死んだ挙句、普通に帰ってきませんからね。
とにかくあの世の異形。例えばウィレム・デフォー演じる地獄の俳優刑事ウルフなど、彼らのビジュアルを楽しみ、ついでにシニスター・デュオの邂逅に喜びこの世で起きる事象によって映画として咀嚼する作品です。
ストーリー的な繋がりがいい意味で前作を前提していない部分も、評価に値するでしょう。
私みたいに見落としている人がいたら是非見て欲しい。あなたの感想も聞きたいから。