ひとの感想が聞きたいからまずは自分から書いてみよう

アマプラで見た映画の日記です。すかしたレビューもします。

【ネタバレ】『ゴジラ-0.0』、待ちに待った初日感想。

ゴジラばっかり擦ったブログ、新作を待ちかねないはずもなく。

70周年イベント、「ゴジラ・シアター」の再上映が予想外に全作完了するなど、長距離走の様相を呈したことで、弊ブログはゴジラだけは一貫性を以て取り扱っていました。

コンセプトと言えるほど熱心に取り組んだこと動機は、来る新作『-0.0』の存在が無視できない要因の1つでした。

と言うのも、私の中でこれが最初の新作ゴジラ体験だからです。

レジェンダリーのモンスターバースがあるじゃないかって?

そりゃもう、髑髏島から*1ずっとブチ上がってますよ。

ですが、ゴジラと言えば国産映画。レジェンダリーの作風がコング主体であることを差し引いても、邦画で続編ラインが続いて欲しいという願望を常に抱えていました。

と言うのも、私が人生で最初に鑑賞した作品がファイナルウォーズだったもので、国産ゴジラの続編を待ちわびるという体験が、ここ数年で初めて味わったものだったんですよね。

シンゴジがもう10年前、無責任にもスタジオカラーはシンゴジvsシンウルをやらないもんですから、全然好きにさせて貰えない環境。

そこで我らが『-1.0』がオスカーまでもぎ取り、70周年のデカすぎるプレゼント!

世界有数の称号を得た、ヒット作の続編というプレッシャーも跳ね除け、続編制作決定。

ファイナルウォーズがファイナルだった弱点が、ついに解消されるような感覚です。

大雑把に計算すれば2004年から待っていたようなもの。

期待値が上がりすぎる不安も勝手に抱えていますが、観れば全てカタがつく。

 

 

 

 

ネタバレ注意!!

まず語るべきは、プロモーションでも先陣を切り、聞き慣れた鳴き声で襲撃を予感させておきながら、その姿だけを見せなかった我らがモンスター・ゼロ。

キングギドラの2026年最新バージョンが、1949年の世界に舞い降ります。

今までサイボーグになったり異次元生命体になったり新設定に事欠かないギドラでしたが、今回は一体どんなひねりを加えてくるのでしょうか。

意外にも一本首、プレーンギドラが映画の上映開始と同時に襲いかかってきます。

東宝屈指の名悪役が初登場した『三大怪獣』が監督のお気に入りということもあり、野生の宇宙生物であることが強調されつつも、その設定のSF的なエクスキューズにはこだわらず、飽くまで脅威として存在することが問題であり続けます。

それだけでは前作と比較してリアリティラインが低下したようにも聞こえますが、無論それだけではありません。

本作は強烈な反戦・反核のメッセージを含有しながら、子供心に楽しめる怪獣プロレスが同居したある意味究極の怪作とも言えるからです。

全体像についてはさておき、一本首のプレーンギドラ登場から、またしても対処を押し付けられた日本は二匹目の怪獣討伐のため「鳴神作戦」を発令します。

前作クライマックスを締めくくった「海神作戦」の第二陣のように予告編ではピックアップされていましたが、予想を裏切ってこれが大失敗。

雷鳴を食らったギドラはそれすらも餌に、我々のよく知る三つ首のキングギドラへと変身していました。

要するにここからお待ちかねのゴジラとギドラのプロレスに移行するわけですが、プロモーションからギドラの「姿」を目玉のように見せかけ、実際はそこに至る物語が本命であることを伏せていた。

華麗なデコイに引っ掛かり、恐れ入谷の鬼子母神と感服せざるを得ません。

さて、怪獣が二倍なら苦しみも二倍という法則が働いているせいか、前作からのヒロイン敷島典子は大方の予想通り、ゴジラ細胞に適合していたことが発覚します。
ゴジラオタクはどいつもこいつもVSシリーズっぽいの好きすぎだろ

半ば同族と化した典子を囮に誘導し、ゴジラとギドラを意図的に衝突させ、同士討ちから漁夫の利を得るというアイディアが浮上。

しかしゴジラほどの破壊力を誘導できるということは、弾数無制限の核弾頭を敵地に誘導できるようなものですから、当然敷島は拒絶します。

ここで前作に綺麗に終わったはずのドラマを切り崩され、マイナスから更に取り立てるように、予告編であまりにもVSシリーズみたいな台詞を言い放ち話題をかっさらった、村上教授の物語が本筋へとフェードインしてきます。

「毒を以て毒を制すじゃ」なんて言ってる…いえ、予告編のみの本編カットシーンで実際は言ってないのですが、わっかりやすい広島弁で現れたこのお方。

リアリティラインのゆらぎを気にせずはいられませんでしたが、実は彼こそが本作の最重要人物。

令和の芹沢博士です。

専門分野である同族の動物を誘導する装置を用いて、典子をオキシジェン・デストロイヤーへと貶める、悪魔の科学者の顔を持つ男です。

村上の回想と共に、映倫の全年齢ラインギッリギリであろう広島の被爆体験が幾度となくフラッシュバックされ、子も孫も奪った米国への暗い復讐心を抱いているという事実が明かされることで、今作は前作どころか初代ゴジラよりもマイナスへ邁進します。

まず、『はだしのゲン』以来とも言うべき何も包み隠さない戦争の様相がえぐり出され、ギドラ討伐作戦失敗が彼にとっての好機。

つまり、ゴジラ誘導装置を用いて米国本土への報復に見えたことが、嫌でも共感できてしまいます。

現実にそんな余力はなく、ゴジラ&ギドラ討伐もイチかバチか。

しかも、その装置の存在が典子を兵器の燃料に変え、アメリカがゴジラを敵国の領域に誘導する覇業を手助けする可能性が遥かに高い。

科学者としての理性で堪えた彼は、その側面も理解していました。

よって、本作の結びでは研究成果を焼却しますが…

ここからが私の個人的に気に入ったポイントで、芹沢のように綺麗な自死を選ばなかった村上は米軍に捕縛されてしまいます。

次回作への色気、台無しと思われる方がいらっしゃるかと思います。

しかし、この「綺麗に終わらないこと」が前作を受けたアンサーのように見えました。

前作の敷島は、特攻隊員の立場にありながら生き延びたことを悔やみ、家族を得てもなお苦しみ続けました。

そして彼のリスタートをマイナスに蹴飛ばすゴジラ討伐が、決着の場です。

しかし、これは特攻という「綺麗な終わり」から離脱できているのでしょうか。

橘をはじめ周囲の人物の良心と、運がそうさせただけではないかと、前作の批判点として幾度となく指摘されていたポイントです。

その答えを受けた本作のストーリーにおける最大の魅力こそが、「綺麗に終わらない」ことであると私は受け取りました。

原爆投下直後の広島という地獄絵図が嫌と言うほど村上の脳裏から転写され、戦争というものが何も綺麗に終われやしない、暗い感情の傘下であると突き付けます。

家族の犠牲で人が狂っているのに、自分の身を捧げて何が解決できましょうか。

前作続投キャラの中では副主人公と言えるほど出番が多く、ギドラ討伐作戦の過程でついに我が身を投げ出した野田。

彼が抱えていた特攻兵器の開発者という苦悩も、彼の中では死んで綺麗に終わっただけで、残された敷島は顔をぐちゃぐちゃにしながら怨敵ゴジラにギドラ討伐を祈るしかありませんでした。

そして典子の身柄の危機は解消できないまま、敷島一家は居場所を失い夜逃げする。

この終幕は恐らく、投げっぱなしな続編ありきと言った角度の批判を受けるでしょうが、私はそれ以上に「綺麗に終わらせない」ことを評価します。

戦争とは汚く、恐ろしく、感情を引っ搔き回して去っていく。

生きても死んでも禍根が残るならば、せめて生きてこそ続いて欲しいです。

迷い込んだ終戦直前の大戸島から怪獣に振り回され続けた彼が、使命の帯びた場を離脱し、家庭人として生きる新天地へと去ったエンディングこそ、「綺麗に終われない」戦争のいざこざからの脱出として私の心に深く刻み込まれたドラマでした。

さて、長々と辛気臭い話をしていましたが、いつものヤツは前作以上の出来栄えです。

ギドラとゴジラが取っ組み合ってドカーン!!!!!バコーン!!!!

我らが白組のタカシ、信頼できるオタクってのは彼がお手本でしょう。

三大怪獣好きな感じが滲み出ていたギドラ繭に始まり、前半は往年の対決シリーズを想起させる今回のライバルにフォーカス。

空中戦で悪意を振り撒くギドラの描写は、私の期待を遥かに上回り、山崎監督の怪獣愛には敵わないと思い知らされました。

ミリタリーはてんで素人なのであまり多くは語れませんが、この時代の戦闘機が素人目にもかっこよく見える良い空中戦でした。

そして、ギドラに呼応するかのように目覚めたゴジラ。

パンフレット曰く「対決映画用に怪獣目線を意識した」新デザインの我らが怪獣王は、戦争の惨禍というテーマを背負いながらも、どこ吹く風と本能のまま破壊を繰り返します。

特にマイナス・シリーズらしい新機軸に見えたのは、ゴジラ細胞の再生能力のバトル描写への転用です。

今まで超再生能力と呼ばれながらも、映像的には無敵の装甲だった黒いボディ。

しかしこのゴジラは前作から引き続き、自分の熱線で崩壊した顔面が即時再生する不可解な生命力としてまざまざと示しています。

今作はいよいよ怪獣対決ですから、ギドラに噛み付かれた腕が即時再生してラウンド続行できる超能力です!

これはゼロゴジならではだよな~~~たまんねえ~~~~~~ぇ~~~

私を含めて未だに着ぐるみ信仰が根強い怪獣オタクを納得させる、CGならではの描写という意味でも、意義深いバトル描写でした。

他にも『VSギドラ』のポスター再現という異様な同種のオタクへの目配せといい、山崎ゴジラが今回もヒットしたら次は他の怪獣も派手にやって欲しいなと思える、会心の出来です。

エンタメ性・シリーズ性を十分に発揮しながらも、初代よりも切り込んだ「マイナス」を描いた大傑作。

こんな作品が映画館でやってるうちに、観に行かないなんてあり得ないと思います。

 

私みたいに見落としている人がいたら是非見て欲しい。あなたの感想も聞きたいから。

*1:ギャレスアンチ

話題作に釣られてみよう『DIGGER/ディガー』

バードマンの監督の新作、なんか公開しているらしい

スーパーガールからこっち、めんどくさいだけのことスパイダーバースレジスタンスなどと称してスパイダーマン新作すら観ず、映画館に行く習慣が途絶え、気が付けば季節は秋。

ないような四季が冬に切り替わる11月はついにゴジラ新作!

習慣を取り戻しておきたいなと思い、DCU新作『クレイフェイス』や実質仮面ライダーバンド美少女アニメ『avemujica』などを候補にピックしていたところ、無視できない情報が飛び込んできました。

あの『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』のイニャリトゥ新作、賛否両論をひっさげやってきた!

バードマンはお気に入りの映画のひとつで、そのくせ監督の名前は覚えてなかったけどしかも賛否両論。

最近シネフィルっぽい映画を映画館で観ていない…というか前回が2月の『モディリアーニ!』だったので、そろそろ大衆向け以外もいってみよう。

色んなジャンルを垣間見てこそ、作品の味わいってもんです。多分ね。

 

 

 

ネタバレ注意!

youtu.be

今作はいつも以上に、作品の内容を知ってしまうと視聴体験が大きく変化してしまう構成となっております。

観賞前に本稿をご覧頂く場合は、その点をご検討の頂くようお願い致します。

 

それでは、今作の要点のおさらいから掘り下げましょう。

冒頭から飛び込むのは、いかにも悪辣な成金野郎。

トム・クルーズ演じるディガー・ロックウェルが、アメリカ政府を半ば傀儡に、無責任な掘削によって世界ごと没落する。

…という、ドクター・ストレンジ・ラヴすぎる露骨な風刺が陳腐を極めたところで、幕は降ろされ、これが劇中劇であることが示されます。

第二幕へつづく。

公式サイトなどのイントロダクションは全て、作品の中の作品。

ギミックでしかなかったのです。

じゃあ一発芸なのかと言われたら、勿論そんなことはありません。

何せ私は面白半分で開いたネタバレ感想でそれを知り、バードマンとの類似点に興味を抱いて鑑賞を決意しました。

役者の視点から自作やそれを取り巻く環境を批判し、問題提起する。

それこそバードマンの焼き直しではないかと思うかも知れませんが、今作の特徴的はむしろ正反対。

楽屋裏の存在が明らかになった後も、飽くまで劇中劇で「ディガー」の物語を中心に映画も進み続けます。

同じ引用ばかりになってしまいますが、バードマンが楽屋裏の狂騒曲を通じて創作の苦悩を描いたために、表面的には演目『愛について語るときに我々の語ること』を知らなくても、意味の通る映像であったことと対照的に見えます。

今作も同様に楽屋が交差し、役者の懊悩がフォーカスされます。

ですがそれらを踏まえた作品の主張するところは、ほとんどが劇中劇という形で提示され、クライマックスに至る構成です。

劇中劇、楽屋オチを抱えた作品は数あれど、劇中劇であることをバラしたうえで、楽屋ではなく創作の中の創作に軸足を置いた内容は、珍しいのではないでしょうか。*1

更に、今作は決してネタバレ知って魅力が損なわれる作品ではありません。

アメリカの愚かしさの煮凝りのような男、ディガー・ロックウェル。

これが作中作と明かされても尚、我々はそのおかしさを笑わずにはいられません。

しかし、合間を縫って登場する楽屋パートで示唆が積み重ねられ、実はこの演目が作中世界における伝記映画。

つまり、彼らが演じている内容は、アメリカの無謀なエネルギー掘削で滅びかけた現在の地球。それを齎した愚者、ディガー・ロックウェルを笑い飛ばし、今日を生きるための喜劇であると明らかになります。

これこそが巧妙に隠された第二の真実であり、幕が降りてカットされても、今作がその価値を損なわない本当の理由です。

よく見てみれば楽屋の通信機器が妙に未来的だったり、示唆はあります。

しかし舞台演劇というアナログな現場によって攪乱され、我々はディガー・ロックウェルを誤って理解してしまいます。

過去のアメリカを象徴する愚者であると。

しかし、作中の実際における演劇の意図は半世紀すぎたかも怪しいとき。

核戦争以上の悲劇を起こし、現実をポストアポカリプスに塗り替えた。

ヒトラー以上に憎まれているであろう、大量殺人者が実在した過去を、喜劇に変換して乗り越えるという涙ぐましい取り組みだったのです。

これは賛否両論もやむを得ないでしょう。観客の冷笑的な側面をチケット代払わせて、挙句巻き込んで批判しているわけですから。

私は論旨こそ理解が及ぶものの、そこまでして作品という体験に疑義を呈することに共感できませんでした。

ですが、今作は非常にオススメの映画作品です。

二重のどんでん返しを積み重ねるシナリオ、行き来する楽屋の描写の少なさを含めて、その巧妙さという面白さは間違いありません。

トム・クルーズ演じるディガーも、上映時間を増すごとに多義的な面白さが上乗せされ続けます。脇役もそれに追従する力を抱えています。

大袈裟な独裁者の道化の演技だけでなく、「実は未来」という布石を探すという楽しみを助長する点においても、スクリーンでの鑑賞を推奨したい作品です。

 

私みたいに見落としている人がいたら是非見て欲しい。あなたの感想も聞きたいから。

*1:不勉強に対するご指摘をお待ちしております。

ネットミームで見始めたバンドリ、新作映画『Ave Mujica prima aurora』を観てきた仮面ライダーオタク。

インターネットミーム経由なので、当然動機はロクでもない。

BanG Dream!縮めてバンドリ。

深夜アニメをそこそこ観ていた時期があるとは言え、女の子が集まってなんか部活っぽいことをするジャンルに今一つ関心が薄い私にとっては、「アイマスでもラブライブでもないほう」くらい大雑把に、辛うじて認知していたシリーズでした。

とある日、いつものようにSNSで特撮ヒーローの与太話をしていたところ、信じ難いミームを脳髄に流し込まれました。

近年のバンドリの作風は、概ね平成ライダーである。

特撮オタクは連想ゲームでしばしば妄想と現実の判別がつかなくなる生き物なので、信用に値しないだろう。

アマプラにあるし、ファクトチェックしてやるか…

土日にそれを見かけたのが運の尽きでした。

井上敏樹みたいなシナリオでバンドアニメしてる!!!

今回の主題である『Ave Mujica』及び直接の前編『It's MyGO!!!!!』を鑑賞した結果、本当に変身って言わないだけの平成ライダーみたいな脚本でした。

変身せずに問題解決しなきゃいけない平成ライダー、決別がバトルではなく言葉で終わり、バンド結成も強化フォームではなく友情だけで解決…

よく考えたら仮面ライダーシリーズが長引きすぎて、他作品に適用できる当たり判定がデカすぎるだけにも思えてきましたが、まあいいでしょう。

今作を起点に過去のバンドリアニメも観てみれば、こっちはこっちで平成ライダー要素あったし*1、先日夏クールにて完結した新作『ゆめ∞みた』なんか、キャラクターごとに手持ちの情報量をズラしてすれ違わせるのが完全に敏樹ライダーだったからね。

前置きが長くなりましたが、アニメ『Ave Mujica』について。

本題である本作に期待する要素を、TVシリーズのおさらいを兼ねてお話します。

ムビムジカに期待すること

TVアニメ『Ave Mujica』、シナリオの面白さに関しては、はっきり言って首をかしげる出来栄えでした。

前編『It's MyGO!!!!!』にて、わだかまりの起点となった過去の思い出のバンドの中心人物、豊川祥子*2を主人公に据え、種明かし的な語り口で始まるストーリー。

ですが蓋を開けてみれば、種明かしこそ大方はされたものの、それらを塗り潰す勢いで話題をかっさらう、ギタリスト若葉睦の大暴走アニメ。

彼女に芽生えた多重人格を起点にバンドが崩壊するという、豪快にリアリティラインをすっ飛ばした展開から、徐々に祥子が過去と真の決着を迎える構成。

インパクトこそ絶大ですが、睦の問題発生と解決は、祥子の心情との重ね合わせではなく、嫌になって一度逃げ出すフック程度の扱いに収束。

『It's MyGO!!!!!』のメンバーも動員して宥めた多重人格パニックはさておき、主人公の実家の束縛は、別荘に逃げ込んだらスルっと解決しちゃった感じなんですよね。

この仮面ライダーレンゲルや仮面ライダーライブを彷彿とさせる、サブキャラの暴走に時間使ったわりに本題が遠回りで時間食われただけで終わる本末転倒は、1クールアニメだと大問題。

TVシリーズまでの『Ave Mujica』は、主人公が神がかり的な精神を得て再起する時間を稼ぐために、サブキャラの多重人格で半分くらい話数を食い繋ぐかなり変なシナリオとなってしまいました。

つまり、劇場版に最も期待することはシンプルな一点。

豊川祥子/仮面ライダーオブリビオニスを紛れもない主役として扱い、彼女の物語に一定のピリオドをつけること。

思えば完璧超人キャラが、TVシリーズの尺に合う主人公性でなかったと解釈することもできます。

実際に、クライマックスに至る問題を自力で見つけるために必要な尺は2~3話で済んでいたわけですから、媒体との相性の問題も検討の余地はあるでしょう。

そんなわけで最終回手前で獲得した最強フォーム、ゴッドオブリビオニスの更なる活躍にも期待しながら、マスカレードのキャストオフに乗り込みましょう。

「劇場版」を冠してるわりにチケットの売り方がVシネっぽいのはちょっと心配だけど。

 

 

 

 

 

 

ネタバレ注意!!!

youtu.be

さて、本作について語るなら、ひとつネガティブな要素が思い浮かんでならないため、その点を先に解消してしまいましょう。

やっぱりOVAじゃねーか!

私はチケット代が固定の1900円だった時点で、なんとなく察していたため、劇場版を冠しながらも実態はOVA先行上映的であること何となくを察していました。

この場で販売や広告の手法について強く抗弁するつもりはありません。

では、OVA版Ave Mujica 、続編企画としてはどうでしょうか。

三期に続くオチはやばいだろ!!!

作品としてのあらすじは、実のところかなり自然な流れではありました。

ですが、予告編で示された「会員制ライブ」要素はなんと『It's MyGO!!!!!』を含めたアニメ第三期、完結編に持ち越し。*3逆仮面ライダーディケイド?

この場は映画紹介とさせて頂いているため、映画作品の枠組みで考えると、そこがよくありませんよ。という点については隠さずお伝えします。

それじゃあOVAムジカとして評価してないじゃないかとダブスタの指摘を受けそうなので、そろそろ本題に入りましょう。

OVA版的なエピローグ、アニメ三期とのミッシングリンクとして見れば、かなりの満足度でした。

危惧していた睦の話やりたすぎ問題も、アニメで一旦の解決を見せた彼女の物語を無暗に掘り返さず、エビリティモーティスでした。

やっとこさ安定したサポートキャラとなった彼女に引っ張られ、にゃむの物語も急展開に関与させられる。

つまり、祥子が決断した会員制ライブ。事務所からの独立に追従するか否かを迫られます。

睦の安定した立ち位置は、屈折した人間ドラマを進めつつも、耽美かつスムーズに女の子同士の絡みを差し込む。

要するに百合厨へのサービスシーン、何気なく手を取り合うといった所作で嗅覚を刺激しつつも、本筋の話を腰を折らず、作品全体への魅力に貢献していたと思います。

前作終盤で祥子の血縁上の叔母という衝撃の真実が明らかになりつつも、作品全体の尺調整ミスも相俟ってあまり物語の原動力に関与しきれなかったボーカルの初華。

同年代の姪にただならぬ性愛を抱きながらライブ以外の影が薄い部類。

凄い変なキャラクターでしたが、今作の本題であるバンドの事務所独立が、彼女たちの親族に関連した問題であったため、存在感は段違いに変化。

祥子の危うくも頼れる家族として、彼女の事務所退所の決断がメンバーを揺さぶる。

アニメ三期の期待値も高める布石となりました。

思ったより豪快に手を切られた社長と、別グループの相方のまなが普通にかわいそうでしたが、本筋が面白くなったので私は構いません。

そして仮面ライダードロリスエンペラーフォーム(ザンバットソード)…

もとい、初華をボーカルとしたライブについては圧巻の一言。

結局話進める気ないのにライブにアニメ1話クラスの尺を使う、TVシリーズからの悪癖は健在でしたが、冒頭に配置されたその内容は圧巻の一言。

私は音楽ライブに疎いので、どこまでがアップコンバート。

つまり、劇場用のサイズ拡大に過ぎない再処理で、どこからがアップデートなのか。

劇場版ならではの演出か把握できていませんが、わからないなりに楽しめました。

ライブシーンで各キャラクターの演奏する姿はもちろんのこと、ドラマパートの百合っぽいところから別に百合ではない普通の場面に至るまで。

サンジゲン(制作会社)手がける、2Dと見紛う3Dモデルの出来栄えは、バンドリアニメシリーズ第二期から支え続けたクオリティの面目躍如です。

キャラクターグッズとしても、5人の出番は満遍なく、劇場版という冠さえ無視すれば楽しめることでしょう。

一昔前であればBDBOX特典だったような、シーズン間のミッシングリンク的OVAの楽しみは十分でした。

ならば劇場版を冠するのは間違っている?
クレームの類はブシロードさんとか、作って売ってるところに書いてください。

それよりもムジカメンバーが初めて全員で飯を食うシーンですよ。

親密度が飯で示唆されるってこれ、平成ライダーじゃないですか?

 

私みたいに見落としている人がいたら是非見て欲しい。あなたの感想も聞きたいから。

 

*1:ロゼリアの映画これ2号のVシネでしょ?

*2:バンドリは原則ボーカルが主人公らしいですが、キービジュ等の扱いを鑑みて初華ではなく祥子を主役と見做します

*3:冒頭ライブがそれという示唆も考えられますが、不確定なものと見做します。

MCUで考えてみよう 何がヒーローを「説教臭く」するのか?

 

批評の批評、思いついたので第二弾です。

しばらくMCUから離れていた私

2025年初頭のMCUの記事でも既にお伝えした通り、ディズニープラス以降の配信ドラマ、所謂「マルチバースサーガ」以降のMCU作品を私はほとんど追っていませんでした。

何故そうしたのかと言われたら、ディズニーの売り方にムカついたからなんですよね。

これは!!映画で!!やれよ!!!

実際に内容を把握したのは去年の年末ですが、尚更反感は強まるばかりでした。

それじゃあなんで今更戻って来たのか。

しかし来る7年ぶりのアベンジャーズ、『ドゥームズデイ』ではあのXMENが帰って来る!オリキャスで!

キャラクター・映画の内容ともに、FOX期の作品のほうがしっくり来ていたこともあり、これはもうイアン・マッケラン演じるマグニートーをスクリーンで鑑賞する最後の機会。

そのために予習ってやつを始めたんです。沢山のドラマを観てね。

そこで沸き上がった疑問が今回の本題、つまり

なんか世間様のMCUドラマの評価ってズレてない?

という話を掘り下げるために、批判的文脈で用いられる「説教臭さ」について、懐疑的な立場から批評の批評をしたいと思います。

わかりやすく言うとポリコレ叩き叩きです。俺にレスバで勝てると思ってんのか?かかってこいよ雑魚共

「評価されやすい」ヒーロードラマと「説教臭さ」

さて、本数に見合った百花斉放百家争鳴と言うべきか、MCUドラマの評価はピンからキリと言うのが世間の評判です。

Filmarksにおける高評価作品は、バキ翼こと『ファルコン&ウィンターソルジャー』や『デアデビル:ボーン・アゲイン』『ホークアイ』等が4.1以上のスコアを獲得しています。

各作品の鑑賞後、私は思いました。嘘書いてんじゃねえよアホども。

バキ翼はわかるけど、ホークアイが4.1はねえだろ!!取っ散らかってるから!!

ボーンアゲインに関しては…ネトフリ時代からの恨みつらみで脱線しそうなので言及を控えます。

しかしこれら高評価作品の傾向を見ると、映画や旧シリーズドラマ、積み重ねに下支えされたキャラクターのスピンオフが歓迎されています。

キャラクタービジネスですから、それそのものを責めることは筋違いです。

では評論の「間違い」はどこから探すべきでしょうか?

やはり、『ボーン・アゲイン』や『ホークアイ』よりも4.1評価に適した作品の評価が、それを下回っているかどうか。キャラクタービジネスの色眼鏡の再検討でしょう。

例えば『ホークアイ』事実上の続編である『エコー』

こちらは3.4評価。私も妥当っちゃ妥当だと思いますが、じゃあホークアイの方も評価4はねえだろと思います。

何故なら、『ホークアイ』はキャラを出し過ぎてシナリオのバランスが崩れたフシがあり、崩れたバランスのドラマの中で語り損ねたキャラクターの1人、外ならぬエコーのドラマが作成されたからです。*1

一方『エコー』は、エコーの話しかしていないため、裏社会と復讐から足を洗うという、単純明快なストーリーでした。

主人公のルーツの描写が抽象的すぎて、アクションも派手ではありません。ですから、シナリオだけでホークアイより優れているという話ではありません。

一方、MCUドラマ屈指の大不評と言えば『シー・ハルク:ザ・アトーニー』を思い出す方は少なくないと思います。

こちらのFilmarks評価は3.5…エコーより高いのこれ!?流石に舐められすぎだろエコー!?

ビジネスウーマン悲喜こもごもなジェニファー・ウォルターズがハルク同等のスーパーヒーローになって、超人を弁護する超人というコメディを描く作品です。

今作はそもそもがコメディにも関わらず、ジェニファーのメタ・フィクション・ジョーク。観客に語り掛ける「第四の壁」突破がスベっており、挙句にシーズンのオチに用いたため、私も低評価しています。

コントのオチが台無しだとシリアスやってる時よりも気まずいので。

そして最後に本日の本題。『Ms.マーベル』

こちらの作品はFilmarks評価3.6。

低すぎます。4.3くらいあってもいいと思うよ。

これこそ女性ヒーローだからナメられてるんじゃないかな。宗教の話もしてるし。

そういうわけで、割と本気で最高傑作だと思っている『Ms.マーベル』と順当によくないと思いつつも『シー・ハルク:ザ・アトーニー』を中心に、女性ヒーローというある種の「説教臭さ」は、本当に作品のクオリティを貶めているのか。考えてみたいと思います。

Filmarksの評価言うほど低くないかと思われたそこのあなた。

黙れ。話の腰を折るんじゃない。

「女性ヒーロー」など「先進的属性」は「説教臭い」のか?

まず、『Ms.マーベル』の作品概要のおさらいから。

熱烈なヒーローオタク、カマラ・カーンは保守的なイスラム教の家庭で過保護に扱われ、両親に打ち明けにくいギャップに悩む平凡な少女。

意を決して出場したヒーローコスプレイベントにて、持ち物に紛れ込んだ祖母の遺品は超能力を発動。

彼女のマーベルなヒーローライフが幕を開けた─

有色人種の女性で、信仰はイスラム教、極めて「マイノリティ」が主人公。

しかし、スパイダーマン的なオタクのヒーロー覚醒。

カマラのマイノリティ性も、マイノリティの不当な扱いに関する作品内外の批判ではなく、彼女がオタクであり、ヒーローであることを隠すためのギミック。言わば日常と非日常の境目を示す指標です。

これこそが、「説教臭くない」少数派の扱い。作品から乖離しない"新機軸"のヒーローを上手く描写しきった好例でしょう。

アクションドラマとしても、カマラが能力を理解していき、徐々に規模が大きくなる描写が痛快。6話の規模に上手く収まった、十分なスペクタクルです。

そのドラマが遂行される過程、ひいては彼女が「Ms.マーベル」を名乗る結果にすら、カマラが「保守的なイスラム教徒の家庭」に産まれたことは密接に関わります。

スパイダーマンが家族や友人に活動を隠したように、オタクでありヒーローになってしまったカマラは、家族と信義の対立を恐れ、隠し続けました。

そしてウルトラマンや仮面ライダー同様に、露見することがドラマの見所です。これが「説教臭く」感じない理由でしょう。

では、続けてシーハルクの話です。

『シー・ハルク:ザ・アトーニー』は「滑った」が、「説教臭い」ことと関係があるのか?

こちらは逆に、明確な失敗作と私も思います。

ジェニファー・ウォルターズは従兄のハルクことブルース・バナーの血液を浴びたことで、同様に緑色の怪物に変異する力を獲得しました。

これにより、弁護士というエリート街道は奇異な見た目に妨げられ、ジェニファーは能力者に関する窓際じみた案件がのしかかります。

その過程でヒーローとして注目されながら無視される自分自身「ジェニファー」の存在感。

マッチングアプリで「シーハルク」の方がウケがよかったりして、文字通り痛感。打ちのめされながら笑って泣ける超人世界のコメディです。

では何がダメだったかと言われたら、やはり「メタネタ」です。

ジェニファーは所謂第四の壁を越える能力。デッドプールが視聴者に語りかけるパワー(?)がありますが、これが全く作風に合っていない。

というか、そこ以外が面白いから変なタイミングでウケを狙ってきて、腹が立つほどスベっています。テンポも微妙です。

コメディに関しての知見は少ないので程々にしつつも、今作がよりによって「一番スベってる部分」をシーズンの核心にまで持ち込んだせいで、失敗作の烙印を受けました。

そう、メタネタがずっこけた。逆に言うと「説教臭い」要素が面白いから成立した批判点なんですよね。

ジェニファーがハルクになってしまい、能力者として能力者の弁護を引き受ける様は、まさにビジネスウーマンドラマそのもの。正しくスーパー・ビジネスウーマン・ドラマであり、それらが内包する男性嫌悪的な危険な偏重をMCU要素で上手く笑いに変換しています。そこに行くまでの1~2話はがあんま面白くないけど

「失敗作」の中のきらりと光る見所にすらなり得る「説教臭い」女性ヒーロー要素。

女性らしさ、少数派、その他の要素はヒーロージャンルとも精緻な調和を図り得る…というか、どんな要素でも面白くなるかは製作者次第。

という、見も蓋もない結論を置いておきましょう。

この藁人形は何に向かって刺された釘なのか

ここまでご覧頂いて、何の話?と思われた方も多いでしょう。

なにって、映画界隈ってやつが気に食わないからチクチクしたかっただけです。

マーベルドラマの世間の評価が気に入らなくて、あと論壇においてアホがデカい顔しすぎだったからムカついたんだよね。

Msマーベルがこんな評価低くてホークアイが高評価、流石にないでしょ。

以上、この場で唯一説教臭い話でした。

そうそう、この「評論の評論」と称した前回記事でもお話したように、このシリーズには明確な目的がございます。

クローンの攻撃を攻撃した詐術の権化、ゴールデン・ラズベリー賞は廃止されるべきである

それでは、殴っていいのはラジー賞の悪い評論家だけ。みんな仲良く映画やドラマを鑑賞しましょう。

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私みたいに見落としている人がいたら是非見て欲しい。あなたの感想も聞きたいから。

*1:デアデビル合流等のユニバース的目的もあったようですが

この映画Youtube無料らしいぞ『ジャッカル』

今度はピカレスク、ブルース・ウィルス。

『ダイ・ハード』のジョン・マクレーンであり、『シックス・センス』のマルコム・クロウ。

存在感ある出で立ちから、「どう転んでも本人役しかできない」アクションスターの弱点を抱えつつも、様々な作品への出演でそれすらも克服した大スター、それがブルース・ウィルスです。

そんな彼が今作で演じるのはピカレスク、殺し屋、スパイ。

『ダイ・ハード3』後であり、『シックス・センス』前である、過渡期の彼のフィルモグラフィーも楽しめる作品とも言えます。

90年代のアクション映画ということで、社会情勢の大きな変転。

つまりソ連崩壊を受けた、ロシア連邦を描くアプローチも今作の特徴のひとつです。

『エアフォース・ワン』ではソ連崩壊後のアメリカ外交を大袈裟に示し、『RONIN』では冷戦終結後の失業スパイと暴走という形で描かれた、どこか"続編っぽい"雰囲気です。

ウィルス演じる最強の殺し屋"ジャッカル"を追う元IRAの扇動者、デクラン。

リチャード・ギア演じる彼のバックグラウンドからして、民族主義的な暴挙も辞さなかった男が、そうしたストーリーはさておき、ジャッカルを知って生き延びた貴重な人物というだけで、アメリカのFBI長官を守る私兵のように働きます。

正直、これを"いっちょ噛み"と断ずるかどうか。

特に、IRA時代の元カノと再会を許される加入の流れを「そういうもの」と受け流せなければ、作品の評価に差し障るでしょう。

間違ってもポリスリを見せてくれる作品ではなく、ちょっとヒネったスパイ映画程度に収まっている本作。

ブルース・ウィルス主演作の中でも影が薄い理由が、鑑賞すればなんとなく察せてしまいます。

しかし、ソ連崩壊後の目的を失った秩序ある世界。

残念ながら現代社会の空気にも通じる厭世的な視点を通じて、スパイ・アクションが展開される部分については、普遍的なエンタメ映画として楽しめます。

続けて、具体的な内容の話にも踏み込んでいきましょう。

暗い社会はさておき、アクションはぐっと堪能できる。暗い映画。

↓Youtube鑑賞ページURL↓

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まずは、スパイ映画として。

兼ねてよりスパイ映画とはアクションであると同時に観光フィルムであると、主張を繰り返していました。

その定義に当てはめれば、本作の「世界ツアー」性は純粋に楽しく、高水準な仕上がりと言えます。

アメリカが関与したロシアンマフィア襲撃に始まり、報復に召集されるジャッカル。そこから貴重な手がかりとして元IRAのデクランが司法取引的に戦力に加わる。

この字面だけでも、国際的なスパイ網の陣取りゲームに思いを馳せることができるでしょう。

因縁だけが言葉のみで示されたジャッカルとデクランがついに対峙する映画中盤。

ヨットレース会場という「観光」そのものなシチュエーションでの発砲は正に、旅行とアクションの両方が楽しめる作品です。

また、タイトルの『ジャッカル』正にその名の如く、とにかく主役ブルース・ウィルスとリチャード・ギアの活躍を楽しめる作品です。

報復のために登用された暴力装置、ジャッカルに対処するFBIと呉越同舟のプロフェッショナル、デクラン。

『ゴジラ』におけるゴジラのように、次々と暴力性を露わにするジャッカルの姿は、悪役であり主役、そしてスパイ映画らしいギミックのお披露目を十分に果たしています。

外部協力者であるデクランをリチャード・ギアが演じるということで、追うFBIの姿は部分的に強烈すぎるマヌケさが出てしまいした。

しかし、サポーターの役目を最後まで果たした堅物ベテラン刑事。

シドニー・ポワチエ演じるカーターとの友情も相俟って、単純に楽しいアクション映画。

現在Youtube無料の作品の中では、手堅い一作と言って差し支えないでしょう。

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私みたいに見落としている人がいたら是非見て欲しい。あなたの感想も聞きたいから。

【アマプラ無料】『エアフォース・ワン』アクション映画に迷ったらとりあえずコレ!

そういやハリソン好き好きしといてコレの話してなかったね

度々ハリソン・フォード主演映画は取り上げてきましたが、そう言えばコレの話をしてなかったから引用元が空白だったな…

と言うわけアマプラ無料になんかなってたので、ボチボチと『エアフォース・ワン』の話をします。

この映画、ハリソン・フォード主演作の入門編として、非常に鑑賞しやすい作品。

という部分でも個人的にオススメですよ。

アマプラ無料で見られます

 https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0CVY217KV?ref_=atv_dp_share_cu_r

初心者向け!?ハリソン・フォード主演映画!

まず、私が一番好きなハリソン主演作は『逃亡者』(1993)ですが、一旦この話は脇に置いておきます。

弊ブログのコンセプトとして、アマプラかyoutube無料あたり、極力大きな範囲で観られる作品を勧めたい…

というのもありますが、『エアフォース・ワン』の特徴はやはり彼の主演作屈指の「初心者向け度」の高さにあると思います。

スターウォーズとインディのイメージで忘れがちですが、ハリソンはどちらかと言えば大作アクション、所謂王道な作品の出演数が少ないタイプ。

『今そこにある危機』はスパイ要素を含有しつつも、当時の社会情勢を汲み取った作品ですし*1、『刑事ジョン・ブック目撃者』のような純然たるサスペンスでも主演。ブレードランナーがどれほど「尖った」作品かなんて最早語るまでもありませんし、弊ブログはスターウォーズ俳優の映画として『K-19』を紹介する暴挙に及んだ過去があります。

そんな彼のフィルモグラフィに燦然と輝くザ・王道!

大統領が乗っ取られた専用機でドンパチかます、ザ・アメリカン・アクション映画で、実にわかりやすく、初心者向けと言える作品が『エアフォース・ワン』です。

王道アクションのハリソン!不朽の名作ここにあり!面白い要素の全部乗せ!

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なんと言っても「大統領自らテロリストに反撃する」ハチャメチャが目を引く作品。

テロリストとドンパチ、決着をぶちかます映画は、80~90年代に栄えたスタローンやシュワちゃんの主演作が頻繁に制作されていました。

筋肉のハチャメチャのシンボルである彼らすら守っていた「テロリストにぶっ放すのは現役軍人に類する者」という建付けすらぶっぱなしてやってきたのが今作『エアフォース・ワン』

何せ大統領が直接やり合うもんだから、滅茶苦茶なんてレベルじゃありません。

それだけの出オチ映画でもない部分は当然、ご心配には及ばないこと。

飛行機という「密室」を活かして、瞬く間にテロリストに占拠されたイニシアチブを少しずつ取り戻す。

ダイ・ハードを筆頭にアクション映画の王道である「密室」要素を活かして、ハリソン演じる大統領ジェームズ・マーシャルの活躍が楽しめます。

最初に注目せざるを得ないのは、密室スリルを固めるまでのアプローチ!

冒頭にアメリカ軍も絡んだ軍事作戦の成功、関係者が肩をなでおろす一幕を挟み、完全に彼らが気を抜いた状態でご帰宅のフライトに搭乗。

そして見えざる脅威が伏兵としてエアフォース・ワンを占拠。安心感が恐慌に変化する過程を単純ながら共感しやすい演出で導入できています。

更に注目すべきは、大統領自らテロに立ち向かう、馬鹿げた状況へ立ち向かう作品の真剣なアプローチ。

やや「真面目」っぽい映画への出演が多かったハリソンならではと言うか、悪役以上に脇役たちとの駆け引きを中心に、熱狂的支持を集めるマーシャルがアクションに興じる状況を正当化していきます。

ベネット副大統領が生死不明となった大統領権の緊急移譲を拒み、いざ彼の生存が確認されたならば本国から全力バックアップのオペレートの先頭に立つ。

名無しの戦闘機パイロットですらマーシャルを信じているあたり、「ハリソン・フォード主演」という作品外の要素に忠実すぎるきらいがありますが、そもそも大統領がテロリストと直接対峙する馬鹿げだシチュエーションです。

これくらい真顔でやってこそ、真剣さが伝わって来るというわけです。

その大統領もまた、部下を信じて危険なオペレートを信じるわけですから、とにかく「彼中心の世界」である作品の創造に対して真面目な構成です。

悪役たちもまた、少しばかり無個性な気がしないでもありません。

ですが、テロの首謀者コルシュノフと内通者ギブスという二段オチ、2人ぶっ飛ばさないと解決しない構成は、アクション映画らしい「息もつかせぬ」スリルの醸成に貢献してくれています。

シンプルな材料を名優の輝きに託したまたとないハリソンの映画。是非ともアマプラ無料のうちに鑑賞すべきオススメの作品です。

 

私みたいに見落としている人がいたら是非見て欲しい。あなたの感想も聞きたいから。

*1:上映時間なげえし

【アマプラ無料】『ロングウォーク』ジョーカー役で有名なほうのマーク・ハミルと聞いてかけつけた俺の感想

またしてもスターウォーズ俳優に釣られた男

マーク・ハミルと言えば、ルーク・スカイウォーカー役。

言うまでもないことでしょう。ちなみに今回は取り扱う作品の内容の関係で、バットマンシリーズのアニメ・ゲームにおける「ジョーカー役」として有名なハミル御大を前提に語りますが、作品鑑賞のフックはスターウォーズ俳優です。

それではスターウォーズに関連したジョーカー役でお馴染みハミルの最新作!

あのスティーブン・キング原作サスペンスが、こないだまで公開してたのにもうアマプラに来ちゃいました。

最近早い作品多いっすね。

アマプラ無料で見られます

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0H9H9YPG6?ref_=atv_dp_share_cu_r

実の所キング作品もよくわかっていませんが…

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さて、スティーブン・キング原作映画と言えば『ミスト』や『シャイニング』あたりの名作が世に満ちており、私もある程度は鑑賞しております。

ただ、肝心要の原作を読んでおらず、キングの作風というものは映画を通じてしか感じ取れていません。

シャイニングがなんで原作者に怒られたのかもよくわかっていませんが…それはさておき今回も映画の話だけ!

懲りずにカジュアルに鑑賞していきます。いつもの免責事項でした。

今作のジャンルは大雑把に言えば「デスゲーム」及び「サスペンス」。

予告編でも明確な通り、ハミル演じる「少佐」率いる戦車部隊に追い立てられ、若者たちは不毛な行軍に命を捨てて挑むことになります。

他にも軍事独裁による荒廃した近未来といった、『シビル・ウォー アメリカ最後の日』的なディストピア要素を踏まえ、「なぜこんなゲームに参加しているのか」が作品を通して掘り下げられます。

最近のハリウッドお馴染み、トランプ的権威主義の揶揄と思いきや、そもそも原作がキング作品の中でもかなり古い作品のようです。

政権関係なくああいったものは好かない作家らしいです。

いずれにせよ世界観を示す過程は『ミスト』のような会話劇が主体。

ハミル演じる「少佐」というゲームマスター、ジグソウ的な理不尽を目の当たりにしながら、この状況に流れ着いた各々のストーリーを掘り下げます。

さて、サブスクへ上陸したとは言え、新しい作品であることは確か。

ワンクッション置いて、ネタバレ含めた作品の魅力を語っていきましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ネタバレ注意 ハミルのために観ても大丈夫なのか?

まず、ハミル演じる少佐の出番はゲームマスターそのもの。開始と終了の宣告をする彼にそれほど強いドラマはなく、正に機械仕掛けの神、デウスエクスルークです。

それでは物足りないのではないか、もちろんそういう話でもありません。

まず、今作の魅力は会話劇。ゲーム参加者が歩き続ける道中、身の上話を繰り広げ、その過程で軍事独裁ディストピアといった世界観も明らかになります。

ですが、具体的に何がアメリカを変えたのかという話はされず、今困り続けているという切実さが主題。彼ら参加者が憎む体制、大きな流れのシンボルは「少佐」であり、画面に映らずとも憎しみをぶつけられ続ける彼は、間違いなく作品を担う重要キャラクター、ヴィランとしての役割を果たしています。

何よりも注目すべきは、彼ら参加者の若者のパーソナリティの掘り下げ。

それがデスゲームという題材と噛み合って、順を追って放たれている部分です。

『十二人の怒れる男』のように、会話劇は陪審員といった予期せぬ、不可思議な状況に放り込まれた者たちの議論が巻き起こす魅力。

価値観の対立と共感が起こすパニックは、確かにデスゲームと重複する要素があります。

「少佐」に追い立てられ、「歩くだけ」で目的地を目指す若者たち。

当初は靴に紛れ込んだ小石、脇腹の痛みだった想像の範疇のトラブルが、便意・捻挫・靴の損傷、疲労を経た発狂といったように段階を踏んで悪化の一途を辿ります。

そうなるであろうことは作中でも言及され、実際の所予想通りです。

しかしそんなことで処刑される脱落者を目の当たりにしたことで、何の気なしに歩きの暇つぶしに交わされた「会話」はいよいよ深刻な「議論」に変貌し、本題の突き付けへと移行していきます。

中盤の夜間の坂道行軍といい、「歩くだけ」の道中の見た目の変化も心理描写と密接に関わり、俳優たちの演技力も相俟って、会話劇・デスゲームジャンル双方の両立を見せつけています。

作品のオチは原作の初稿年に相応しい「ありきたり」ともとれるある意味予想通りの内容ですが、彼が何故そうしたのかはここまでの会話で十分に共感できたこと。

間違いなく現代の映像化に相応しい一作だったと言えます。

 

私みたいに見落としている人がいたら是非見て欲しい。あなたの感想も聞きたいから。